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知られざるアフリカの国々シリーズ 
2018年04月27日(金)出発限定
西サハラ(モロッコ実効支配地域)と
モロッコ(フェズ&シャウエン)
スペイン北アフリカ(セウタ)
イギリス領ジブラルタル 10日間

エミレーツ航空+ロイヤル・モロッコ航空

ここがポイント!


★ 西アフリカの知られざる国々シリーズ ★


 西サハラ (モロッコ実効支配地域)


西アフリカの国々。日本人にはなじみの薄い国々ですが、それでもマリ、ガーナ、 セネガルなど、日本人が旅行者として訪れる国々はいくつかあります。
その西アフリカの中で、一般の旅行者がなかなか行こうと思いつかない国々が あります。
そのうちスペインからアフリカに返還されてから、帰属の問題に揺れる西サハラのモロッコ実効支配地域を訪れます。
有名な観光地は少ないけれども、行く先々で人々の暮らしと歴史を垣間見ます。

≪西サハラ≫
アフリカ大陸の北部、日没するマグレブのそのまた西、さいはての地にある西サハラ。
かつてのカミオン(トラック)交易ルートであった、アルジェリア〜ニジェール/マリ〜西アフリカのルートが、部族による略奪などの危険性により、衰退。代わって、モロッコから西サハラを抜け、モーリタニアに入るルートが誕生しました。欧州からアフリカをめざす旅客が、一度は夢見たサハラ越え。いまでは、西サハラ地域を通るのがほぼ、一般的となっています。
かつてスペイン領であったこの地域は、現在は帰属のはっきりしない地域。実効支配をしているのは、モロッコです。
今回西サハラ地域の主都アイウンと、大西洋とサハラ砂漠の三か所を巡ります。


・・面積は266,000平方キロメートル
・・人口は270,000人


略史

 1884年(日本では明治17年)11月15日より、翌年2月26日まで、ドイツ帝国の首都ベルリンで開催された、  列強のアフリカ分割会議『ベルリン会議』により、スペインは現在の西サハラの 地域を獲得し、現在の
 モロッコ最南端部に獲得したスペイン領とは別に、植民地化を進め
 ました。 この地域は中世より続く部族社会が形成されており、スペインの植民地化に執拗な
 抵抗を見せました。
 1904年にはスマラを中心にスペインに対する反乱がおこり、1910年には鎮圧されるものの、その後も
 断続的に反乱が続き、スペインは目標としていた1934年までの全土制圧は困難と 悟りました。
 モロッコは1956年の独立に伴い、現在のモロッコ南部に位置するスペイン領モロッコの返還
 のみならず、スペインが領有していた現在の西サハラ地域をも返還対象との主張を続け、
 1957年にモロッコとスペインによる、スペイン領モロッコの領有を巡るイフニ戦争を経て、
 1969年にはイフニがモロッコに返還されました。 1975年、のちに『緑の行進』と呼ばれる、モロッコ、
 モーリタニアからの領土要求運動の高まりの中で、ついにスペインはこの地域から 撤退しました。

 以後、この地域はモーリタニア、モロッコによる分割統治の時代に入りますが、部族による執拗な
 モーリタニア攻撃により、ついにモーリタニアは領有権を放棄。
 現在では、モロッコによる実行支配を受けています。
 西サハラ独立を求めるポリサリオ戦線=サハラ・アラブ民主共和国の支配地域と、モロッコの実効支配
 地域は、『砂の壁』と呼ばれる政治的隔壁によって分断されています。
 サハラ・アラブ民主共和国の支配地域は現状では入域が非常に困難で、旅行者が訪れる
 ことのできる地域はモロッコ実効支配地域に限られます。

 複雑な歴史と部族社会をもったサハラの非独立地域『西サハラ』
 今回は、主都ラアユン近郊の砂漠地帯を訪れ、激動の時代に翻弄されたこの地域の自然や
 産業の一端に触れます。

 日本や欧米等の国は、モロッコ王国との関係重視の立場から、サハラ・アラブ民主共和国を承認して
 いません。現時点では、さしものパームツアーセンターでも、サハラ・アラブ民主共和国の実効支配
 地域の手配はできません。
 この地域の帰属は、いまだに確定していません・・・

◆旅のスタイルは・・・

 この地域を訪れる観光客は、モロッコからモーリタニアに陸路で通過する人々に限られると
 言われています。
 今回は、西サハラ地域を旅の目的地として、この地域を旅したいけれども、情報がなく、
 旅行の仕方が見えてこない・・・という皆様のため、パームツアーセンター店長の同行する
 プランに加えました。
 観光施設は砂漠のキャンプ地です。ある程度の設備が整っているので楽しく滞在できます。

 なんといっても、純粋な観光客など、殆ど来たことのない地域。

 お土産屋さんすら、ないかもしれない、西サハラ。
 この地域を二度も訪れた店長が、皆様を安全に、比較的ラクに、ご案内致します。

<観光の見どころ>
 塩湖と涸れ川が織りなす不思議な風景、Tahへとご案内致します。
 西サハラにも砂丘はあります。砂丘と塩湖、テーブルのようなガーラ山を見に行きます。
 砂漠のキャンプは個室で、夜は蝋燭の世界!満天の星をご堪能下さい。

 コラムは・・・ 沙織里と久美の西サハラの思い出 ・・・By本庄沙織里・久美



 フェズ FEZ
 
シャウエン、マラケシュと並んで、旅行者に旅情を感じさせる街〜フェズ。
 多くの旅行者を魅了するモロッコらしい観光地であり、また、モロッコ人にとっても
 特別な街です。
 9世紀から建設が始まったフェズは、その後13世紀には拡張され、さらにフランス
 植民地時代に発展を遂げました。
 8世紀末に成立したイドリス(イドリース)朝、13世紀に成立したマリーン朝などの
 イスラム王朝はフェズに都を定め、それ以降、どこに遷都されても、古都フェズは
 もっとも重要な古都に位置づけられていました。
 フェズっ子(ファシ)は、独特の言いまわしのフェズ弁をしゃべりますが、旧市街では
 北方方言の影響がみられ、新市街では南方方言の影響がみられ、同じフェズ弁でも
 微妙に異なっています。
 中世にはサハラ交易における重要な拠点の役割を果たし、一年に2回、トンブクトゥ
 (現在のマリ)に向かう隊商は、フェズから出発しました。

 フェズの街は、古くは紀元前に遡る建都神話を持っていますが、大きく分けて下記の
 ように、各地区ごとに建設された年代が異なります。
 ・・8世紀から建設が始まったフェズ・エル・バリ
 ・・13世紀に建設が始まったフェズ・エル・ジェディド
 ・・フランス植民地時代に建設されたヴィル・ヌヴェル(新市街)
 ・・旧市街の周囲に広がる墓地の外側に建設されたシテ・ポピュレールという住宅地
 ・・シテ・ポピュレールの郊外に位置する高級住宅地
 ・・さらにそのそばにある貧民街

 今回の旅では、主に、最も古く、最も混沌とした迷宮のようなフェズ・エル・バリを
 中心にフェズを観光します。

 
ブー・ジェールド門 BAB BOU JELOUD
  フェズの旧市街の出入口である、豪壮な青い門。
  青と緑のタイルが絶妙なバランスで調和する美しい門です。
  1913年(大正2年)にこの場所に建てられました。

 
ブー・イナニア・マドラサ MEDERSA BOU ANANIA
  14世紀にマリーン朝のブー・イナニア王によって建てられた神学校です。
  中庭には大理石が敷き詰められ、礼拝の前に身を清める水盤が置かれています。
  神学校の壁面は美しい幾何学模様やタイルのモザイクで飾られています。

 
ネジャーリン広場 PLACE NEJJARINE
  世界最大級の迷路フェズ・エル・バリを代表する広場です。
  ネジャーリンとは『大工』を意味し、周辺には家具・調度品の工房が多いです。
  地続きの一画に建つ工芸品や楽器の博物館は、もとは18世紀の隊商宿でした。

 
アッタリーン・スーク SOUK DES ATTARINE
  香料を売る店が中心となったフェズ・エル・バリを代表する市場(スーク)です。
  名物のキサリヤ(織物)や絹製品なども売られており、ヘンナ粉もあります。
  香辛料や香水なども売られており、買い物客でにぎわっています。

 
カラウィン・モスク MOSQUEE KARAOUIYNE
  9世紀にチュニジアから移住したファーティマ・フェヘリーヤが建立した祠が起源。
  10世紀にムーレイ・ベン・ユーセフが改築/増築しました。
  そして、現在の豪壮で、アフリカ一の規模を持つモスクになりました。

 
タンネリ TANNERIES / SOUK DABBAGHIN
  フェズと言えば、だれもが思い浮かべる皮なめしの工房、それがタンネリです。
  なめし皮を染色するための染料を入れた窪みが並ぶ、あの風景があります。
  ただし、においが苦手な方は、マスクをして見学するとよいでしょう。

 世界一の迷路と呼ばれるユネスコ世界文化遺産に登録されたフェズの旧市街を、
 異邦人としてさまよってみましょう。


 シャウエン CHEFCHAOUEN
 リフ山脈の北麓、標高2050mのティスーカ山と、1616mのメッグ山の山懐にある
 小さな町です。シャウエンとはアラビア語で“角”を意味しますが、ティスーカ山と
 メッグ山が二本の角のように見えることから、町の名がシャウエンになったとか。
 正式名称はシェフシャウエン CHEFCHAOUEN です。
 この町の起源は15世紀に遡ります。1471年(日本は文明3年。後土御門天皇の御代。
 室町幕府第八代将軍・足利義政の治世/第五代古河公方・足利成氏は享徳20年を
 継続使用)にムーレイ・アリ・ベン・ムーサ・ベ・ラチェッド・エル・アラミが、北アフリカに
 侵略してきたポルトガルと戦うための要塞として建設したのが始まりとされます。
 1920年(大正9年)〜1956年(昭和31年)のモロッコ独立まで、シャウエンの町は、
 スペインに占領されていました。町の建物の白壁と、アクセント・カラーのブルーが
 この町を美しく彩ります。この町にしかない民芸品も人気があります。






◆ヘラクレスの柱“セウタ&ジブラルタル◆

 
ギリシャ神話の英雄ヘラクレス。
 そのヘラクレスの十二の功業のうち、第十の功業のくだりに記されたヘラクレスの柱。
 現在、その場所は、ひとつはジブラルタル海峡の北、イベリア半島に位置するイギリス領
 ジブラルタル、いまひとつは北アフリカのセウタまたはモロッコに比定されています。
 それは、古代から交通の要衝として、そして戦略的にも重要視され、“柱”の争奪戦が繰り
 広げられたことを意味するとも考えられます。
 複雑な歴史に彩られたスペイン領北アフリカのセウタと、現在なおイギリス領である
 ジブラルタルを訪れます。


 ヘラクレスの柱
 ギリシャ神話、英雄ヘラクレスのくだりに登場する伝説の舞台です。
 ヘラクレスに課せられた、過酷な“十二の功業”のひとつで出てきます。
 大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ、エリュテイア島に住まう怪物ゲーリュオーンが
 飼う紅い牛を、エウリュステウス王のもとに連れ帰る、ヘラクレスの十番目の功業の中に
 それを見ることができます。
 エリュテイアへ向かう途中に、アトラス山を越えねばなりませんでした。
 ヘラクレスは近道をしようと考え、もともは巨人であったアトラス山を砕きました。
 アトラス三は二つに割れて、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が分かれ、大西洋と地中海が
 繋がりました。
 以降、二つに分かれた山を総称し、“ヘラクレスの柱”と呼ぶようになりました。
 柱のひとつは、ジブラルタル海峡に面したイギリス領ジブラルタルにある、ジブラルタルの岩。
 もうひとつは、諸説ありますが、対岸アフリカのスペイン領セウタにある、アチョ山とも、
 モロッコのヘベルムサ山とも言われています。
 今回の旅では、イベリア半島にあるイギリス領ジブラルタルと、アフリカにあるスペイン領
 セウタも訪問します。


 ★セウタ
 アフリカ大陸北部、三方をモロッコに囲まれ、一方が地中海に面したスペインの飛地領、
 それがセウタです。
 スペイン軍が駐屯するモンテ・アチョ、ヨーロッパとアフリカとを結ぶ航路が開けた港を
 中心に町が広がっています。
 沖合には、サンタカタリナ島が浮かび、サンタカタリナ島もまた、スペインの領土となっています。
 同じ北アフリカの“メリリャ”とともに、“スペイン領北アフリカ”とも呼ばれていますが、
 いわゆる植民地ではなく、本土と同じ扱いを受けています。
 古代から、セウタは交通の要衝/軍事拠点として重視されてきました。
 紀元前7世紀にはフェニキア人が定住。その後、ギリシャ人に占領されます。
 紀元前319年、カルタゴがセウタを支配下に置きます。
 紀元前201年、第二ポエニ戦争でカルタゴが降伏し、セウタはヌミディアに割譲されます。
 紀元前47年には、マウレタニア領となります。
 紀元後40年には、ローマの属州マウレタニア・ティンギタナの一都市となり、セプティムと
 呼ばれるようになります。
 5世紀中葉、ヴァンダル人の支配下に置かれましたが、ユステイニアヌス1世の治世下に、
 ベリサリウス将軍が占領し、以降、東ローマ帝国領となります。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まると、
 西ゴート王国のセウタ伯ユリアヌスはイスラム側に寝返ります。
 そのため、セウタはイベリア半島への侵攻の拠点となります。
 やがてユリアヌスの死後、セウタはイスラム勢力に支配されるようになります。
 788年(日本は天応2年。桓武天皇の御代)、モロッコのイドリス朝がセウタを占領。
 931年(日本は延長9年〜承平元年。朱雀天皇の御代。平将門の乱の前)、後ウマイヤ朝の
 アブド・アッラフマーン3世がイベリア半島のカリフ領を制圧。
 その後、グラナダ王国とフェズ王国の係争の舞台となり、さらにカスティーリャ王国と
 アラゴン王国がセウタ攻略に介入するようになります。
 1415年(応永22年。称光天皇の御代。室町幕府第四代将軍・足利義持の治世)、エンリケ
 航海王子がセウタを奪取。ポルトガル領になりました。
 ポルトガル領であった名残に、セウタの紋章がポルトガルの国章に酷似しています。
 1580年(日本は天正8年。正親町天皇の御代。織田政権。室町幕府第十五代征夷大将軍・
 足利義昭は室町幕府滅亡後も将軍職に在職)、ポルトガル王朝滅亡に乗じ、ポルトガルは
 アブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世によりスペイン領に、同時にセウタもスペイン領となります。
 18世紀、アメリカ独立戦争の局地戦ジブラルタル包囲戦を勝ち抜いたイギリス海軍が、
 海から、モロッコのアラウイー朝が陸から、セウタを脅かすようになります。
 1925年(大正14年)、スペインのカディス県から分離。
 1936年(昭和11年)、スペイン内戦に乗じて軍が全権を掌握します。
 1956年(昭和31年)、モロッコは独立しますが、セウタはスペインに留まり、今日に到ります。


 ★ジブラルタル
 イベリア半島の南東端に突き出した半島部に位置しており、イギリスの海外領土です。
 地名の由来は、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を征服したウマイヤ朝の将軍
 ターリク・イブン・ズィヤードにちなみ、アラビア語で『ターリクの山=ジャバル・アル・ターリク』が
 訛ったものです。
 ネアンデルタール人が居住していた痕跡があり、かなり古くから人が定住していたことが
 判明しています。
 紀元前950年にはフェニキア人がジブラルタルに定住するようになりました。
 その後、ローマ人やヴァンダル族、ゴート族などがジブラルタルに一時居住しますが、
 定住には到りませんでした。
 フェニキア人が建国したカルタゴが第1次ポエニ戦争後にジブラルタルと南イベリア半島を
 勢力下としました。
 第2次ポエニ戦争によってカルタゴが降伏し、ローマ帝国がジブラルタルとイベリア半島を
 属領としました。
 400年代の初期から西ゴート族がイベリア半島に入植するようになり、西ローマ帝国の
 滅亡後は西ゴート王国の支配下となりました。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まり、翌年、
 西ゴート王国はウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードにより滅亡し、以降、この地は
 ムーア人の支配下に置かれ、イスラム圏に入ります。
 それ以降、ジブラルタルは歴史から姿を消します。
 1309年(日本は延慶2年。花園天皇の御代。鎌倉幕府第9代将軍・守邦親王の治世。執権は
 十六代・北条守時)にナスル朝グラナダ王国の一部となります。
 その後、カスティーリャ王国によって一時占領されます。
 1333年(大覚寺統:元弘3年。後醍醐天皇の御代/持明院統:正慶2年。光厳天皇の御代)に
 マリーン朝がジブラルタルを奪還し、マリーン朝はグラナダ王国にジブラルタルを割譲しました。
 1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)、
 スペインのカスティーリャ王国のメディナ・シドニア公がムーア人からジブラルタルを奪取しました。
 フェルナンド2世がスペイン王国を建国した後の1501年(日本は明応10年〜文亀元年。
 後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)、ジブラルタルもスペイン
 王国に帰属します。同年にイサベル1世からジブラルタルの紋章が贈られました。
 八十年戦争中の1607年(日本は慶長11年。後陽成天皇の御代。江戸幕府第二代将軍・
 徳川秀忠の治世)オランダ艦隊がスペイン艦隊を奇襲し、ジブラルタル沖が戦場となる
 ジブラルタルの海戦が勃発し、この海戦によってスペイン艦隊は大打撃を被ります。
 1701年(日本は元禄14年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)、
 スペイン継承戦争が勃発。
 王位継承者候補の一人であるカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の即位を
 後押しするイギリス、オランダ、オーストリアがフランス王ルイ14世とスペイン王フェリペ
 5世に対し宣戦布告、英蘭墺三国同盟艦隊はしばしばスペイン南岸の港町を襲撃します。
 1704年(日本は元禄17年〜宝永元年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)
 8月4日、ジョージ・ルーク提督率いる英蘭艦隊が支援する海兵隊がジブラルタルに上陸、交渉の末、
 住民は自主退去し、ジブラルタルは連合軍の指揮下に入ります。
 1713年(日本は正徳3年。中御門天皇の御代。江戸幕府第七代将軍・徳川家継の治世)
 4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結、以降、イギリス領となります。
 アメリカ独立戦争が勃発すると、スペインは独立勢力支援に回り、1779年(日本は安永8年。
 後桃園天皇〜光格天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)よりジブラルタル
 への厳重な封鎖(ジブラルタル包囲戦)を開始します。
 イギリスは3年近い包囲戦に耐え、浮砲台を撃破し、ジブラルタルを死守しました。
 1985年には既に軍事拠点としての重要性も低下し、スペインとの国境が開放されました。
 現在では観光地として旅行者を受け入れています。


<観光の見どころ>

 ジブラルタルの岩
  ジブラルタルの岩は、英領ジブラルタルの象徴。高さ426mの一枚岩です。
  ジブラルタルの半島部分の殆どを占め、山頂付近は殆どが自然保護区に指定されています。

 ヨーロッパ岬(エウローパ岬)を見下ろす展望台
  ジブラルタル最南端に位置する岬。灯台が建っています。

 聖マイケルの洞窟
  ジブラルタルの岩には、実に150もの鍾乳洞があると言われていますが、その最も
  有名なものが、西の斜面中腹に位置する『聖マイケルの鍾乳洞』。この鍾乳洞は、
  天然の地形に人の手を加え、コンサートホールになりました。

 
バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
  約250匹のバーバリー・マカク(バーバリー・エイプ)が住んでいます。
  もともとはアルジェリア北部やモロッコに生息するサルで、ジブラルタルに、それらの
  土地から持ち込まれたと考えられています。

 ジブラルタル包囲戦時の隧道 GREAT SIEGE TUNNEL 
  “ザ・ロック”の愛称で親しまれるジブラルタル・ロックには、地下道網が存在します。
  観光客が通常訪れるのは、第二次大戦時代に掘削された隧道。
  地下通路や弾薬庫、貯蔵庫なども備えた近代的な隧道で、現役軍事施設です。
  最古の隧道はジブラルタル包囲戦(1779年〜1783年)の際に掘られたものです。
  大包囲戦時代、守備隊を指揮していたエリオット将軍は、岩の北部の平地にいる
  スペイン軍の砲列に対し、側面から砲撃すべく戦略を練り、王立工兵の案を入れ、
  ウィリス砲台の上から、方工面の『ザ・ノッチ』なる岩山の天然の突起の部分に到る
  トンネルを掘削させました。この奇想天外な作戦により、イギリス側は3年余の
  大包囲戦に耐えることができたのです。

 
ムーア人のお城
  711年(日本は和銅4年。元明女帝の御代)から1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の
  御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)にかけてジブラルタルを支配した
  ムーア人が拠点とした城です。煉瓦とTAIPAと言われる固いコンクリートでできた
  ハミッジの塔や、ムーア人の居住地区、浴場などがあります。

 
ショッピング地区
  スペインに囲まれたようなジブラルタルですが、ショッピング地区には英語看板が
  目立ちます。
  イギリスの商品や、ジブラルタルのおみやげも売られています。
  フィッシュ&チップスのお店もあり、イギリスが感じられます。

 市街地
  ジブラルタルの中心には“ザ・ロック=ジブラルタルの岩”が聳えており、岩の麓から
  海にかけて、わずかな平地があります。その平地に市街地があり、空港滑走路や
  スペインとの国境へ続いています。

 
ジブラルタル空港滑走路
  スペインとの国境付近に半島と垂直に築かれた滑走路があります。
  ここには、イギリス本土などからの飛行機が離着陸します。




モデルプラン(手配旅行です)

====================================
<01日目>04月27日(金)
■行程: 成田空港/(JR名古屋駅前→)関西空港⇒

成田空港発着の場合
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国⇒
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−319 成田空港    22:00⇒ドバイ     04:15 翌日
・・宿泊: 機内泊

JR名古屋駅発着の場合
・・手続: 乗車手続
※移動: エミレーツ航空のシャトルバスで、JR名古屋駅前から関西空港へ。
 EK7031 JR名古屋駅前 15:00⇒関西空港    18:30
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国⇒
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−317 関西空港    23:45⇒ドバイ     05:15 翌日
・・宿泊: 機内泊

関西空港発着の場合
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−317 関西空港    23:45⇒ドバイ     05:15 翌日
・・宿泊: 機内泊

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<02日目>04月28日(土)
■行程: ⇒ドバイ⇒カサブランカ⇒ラーユーン→ベドウィン・キャンプ
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、モロッコのカサブランカへ。
 EK−751 ドバイ     07:25⇒カサブランカ  12:55
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関〜国内線搭乗手続〜安全検査
※移動: ロイヤル・モロッコ航空の国内線で空路、ラーユーンへ。
 AT−485 カサブランカ  17:00→ラーユーン   18:45
・・手続: 外国人入域登録〜受託荷物引取〜通関!を済ませ、出口へ。
*出迎: 現地係員が空港にてお出迎え致します。
*送迎: 混載の送迎車で空港から砂漠の中のベドウィン・キャンプへ。
*夕食: ベドウィン・キャンプ
*宿泊: ベドウィン・キャンプ(独立棟)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<03日目>04月29日(日)
■行程: ベドウィン・キャンプ
*朝食: ベドウィン・キャンプ
*観光: 午前または午後、半日ター TAH への混載ツアー
 〇
塩湖: 西サハラには塩湖がいくつかあります。その中の一つの遠望をご覧頂きます。
 〇
砂丘: TAHには小さな砂丘がいくつかあります。風紋の砂丘に足跡を残してみませんか?
 〇
涸川: 水のない涸れた谷をアラビア語ではワジと呼びます。そのワジの一つを見物します。
*昼食: ベドウィン・キャンプ
*散策: 午前また午後、ベドウィン・キャンプの周辺を散策します。
 〇
湿地: 荒涼とした西サハラの大地にも、水の流れる湿地帯があります。その一つを見ます。
 〇
小滝: 湿地帯から低地に、小さな滝が水を注いでいます。わずかな水ですがご覧下さい。
 〇
丘陵: ベドウィン・キャンプの背後の丘に登ります。気候条件がよければ夕日をご覧頂けます。
*夕食: ベドウィン・キャンプ
*宿泊: ベドウィン・キャンプ(独立棟)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<04日目>04月30日(月)
■行程: ベドウィン・キャンプ→ラーユーン⇒カサブランカ
*朝食: ベドウィン・キャンプ
*観光: 午前または午後、ベドウィン・キャンプ周辺の混載ドライブ
 〇
砂丘地帯: 小さな砂丘の集まりですが、接し方により、大砂丘を体感できるかもしれません。
 〇
ライオン岩: 遠くから見ると咆哮するライオンに見える岩、近くで見ると大蝦蟇に見えたり・・・
 〇
ガーラ山: キャンプからも見える塩湖に浮かぶテーブルマウンテンの奇観をより近くで見ます。
*昼食: ベドウィン・キャンプ
‥自由: 午前または午後、自由行動。キャンプの施設は出発までご利用頂けます。
*送迎: 混載の送迎車でベドウィン・キャンプからラーユーン空港にお送り致します。
*夕食: ラーユーン空港の軽食堂
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/外国人出発登録
※移動: ロイヤル・モロッコ航空の国内線で空路、カサブランカへ。
 AT−484 ラーユーン   22:00⇒カサブランカ  23:35
・・手続: 受託荷物引取を済ませ、出口へ。
*送迎: 専用車で空港からホテルへ。
*宿泊: イビス・カサ・ボワイヤージュ(スタンダード部屋) または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<05日目>05月01日(火)
■行程: カサブランカ→フェズ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車で首都ラバトへ。
*観光: 首都ラバトのミニ観光をします。
 〇
ウダイヤのカスバ: ラバトと隣接するサレの防衛のために築かれた要塞とメディナ
 〇
サレの遠望: メディナを歩き、隣接するサレの旧市街を見渡せる展望台(見張台)へ。
 〇
ハッサンの塔: 新市街にある未完成の塔とモスク、ムハンマド5世廟を見学します。
*移動: 専用車で古都メクネスへ。
*観光: 古都メクネスのミニ観光をします。
 〇
クミス門: メディナの出入口の一つで、豪壮なクミス門から旧市街に入城します。
 〇
ヘリ・スアニ: アグダルの貯水池、穀物倉庫跡(水の館)の外観などをご覧いただきます。
 〇
風の道: ヘリ・スアニ付近から旧市街を走る風の道を走ります。心地よい風を感じます。
*昼食: メクネスのローカル・レストラン
*観光: 午後〜日没の間、古都フェズを徒歩で観光します。
 ○
ブー・ジェールド門 BAB BOU JELOUD
 ○
ブー・イナニア・マドラサ MEDERSA BOU ANANIA
 ○
ネジャーリン広場 PLACE NEJJARINE
 ○
アッタリーン・スーク SOUK DES ATTARINE
 ○
カラウィン・モスク MOSQUEE KARAOUIYNE
 ○
タンネリ TANNERIES / SOUK DABBAGHIN  ほか
*夕食: ホテル
*宿泊: ホテル・バトハ HOTEL BATHA(スタンダード部屋/リアド風旅館)
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<06日目>05月02日(水)
■行程: フェズ→シャウエン(約4時間)→セウタ(約3時間)
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でシャウエンに移動します。
*昼食: ローカル・レストラン
*観光: 美しいシャウエンの町を観光します。
*移動: 専用車でモロッコ/スペイン北アフリカ国境へ。
>国境: ガイドとお別れ〜モロッコ出国/スペイン北アフリカ入国
*送迎: 国境⇔市内の路線バスでスペイン北アフリカ側の国境からセウタへ。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
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<07日目>05月03日(木)
■行程: セウタ〜アルヘシラス→ジブラルタル
*朝食: ホテル
*移動: 徒歩で埠頭のフェリー・ターミナルへ。
・・手続: 乗船手続
*移動: フェリーでスペインのアルヘシラスへ。
 FRS FERRY  セウタ     09:00〜アルヘシラス  10:00
・・手続: 下船手続
*移動: 専用車でスペイン/ジブラルタル国境(LA LINEA)へ(約0.5時間)
>国境: スペイン出国/ジブラルタル入国
*観光: ジブラルタル観光(混載のロック・ツアーに参加します)
 ●ジブラルタルの岩
 〇ヨーロッパ岬(エウローパ岬)を見下ろす展望台
 ◎聖マイケルの洞窟
 〇バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
 ◎ジブラルタル包囲戦時の隧道
 ●ムーア人のお城
*移動: 徒歩で、下車地点からホテルに移動します。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*散策: 午後から日没まで、ジブラルタルの旧市街と滑走路を散策します。
 〇ショッピング地区
 〇
市街地
 〇
滑走路: ご存知!飛行機の滑走路を一般道路が横切っています。この日の離発着は:
  BA−490 ヒースロー空港発12:25⇒
ジブラルタル着 16:20
  BA−491 
ジブラルタル発 17:10⇒ヒースロー空港着19:00
  但し、航空会社やジブラルタルの都合により、フライトの運休または遅延の可能性があります。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: ブリストル・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<08日目>05月04日(金)
■行程: ジブラルタル→マラガ⇒バルセロナ
*移動: 徒歩でケースメイトのバス・ターミナルへ。
*移動: 路線バスでジブラルタル/スペイン国境へ。
*朝食: 国境沿いのカフェで軽食をご用意致します。
*送迎: 専用車でマラガ=マリア・サンブラーノ駅へ(08:30出発。約1.5時間)
*移動: スペイン特急AVEでマドリッド・アトーチャ駅へ。
*送迎: 専用車でアトーチャ駅からマヨール広場へ。
*昼食: 
ボティン(セゴビア由来の仔豚の丸焼き定食)
*送迎: 専用車でマヨール広場からアトーチャ駅へ。
*移動: スペイン特急AVEでバルセロナ・サンツ駅へ。
*送迎: 専用車でサンツ駅からホテルへ。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: バルセロナ・アーバン・デル・コムテ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<09日目>05月05日(土)
■行程: バルセロナ⇒ドバイ⇒
*朝食: ホテル
*送迎: 専用車でホテルから空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−186 バルセロナ   15:30⇒ドバイ     00:25 翌日
・・手続: 安全検査
・・宿泊: 機内泊
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<10日目>05月06日(日)
■行程: ⇒ドバイ⇒成田空港/⇒関西空港(→JR名古屋駅前)
成田空港発着の場合
※移動: エミレーツ航空で空路、成田空港へ。
 EK−318 ドバイ     02:40⇒成田空港    17:35
・・帰国

JR名古屋駅前発着の場合
※移動: エミレーツ航空で空路、関西空港へ。
 EK−316 ドバイ     03:40⇒関西空港    19:50
・・帰国
・・手続: 検疫〜入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、シャトルバス乗車手続
※移動: エミレーツ航空のシャトルバスで関西空港からJR名古屋駅前へ。
 EK7032 関西空港    19:00→JR名古屋駅前 22:30
・・帰着

関西空港発着の場合
※移動: エミレーツ航空で空路、関西空港へ。
 EK−316 ドバイ     03:40⇒関西空港    19:50
・・帰国

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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

  2018年04月27日(金)出発決定!
 添乗員が同行または合流し、お世話致します。

  ・・・ 次回は2018年07月下旬を予定しています。



<最少催行人数 :
1名から催行。添乗員同行または合流パターンのみ>

人数 ご旅行代金  航空券代金  合計
1名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
2名様 990,000円 ご旅行代金に含まれます 990,000円
3名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
4名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
5名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
6名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
7名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
8名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
9名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
一人部屋
追加料金
 お問い合わせ下さい 


●お申込期間:出発2か月前まで



●ご旅行代金には下記のものが含まれます
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・西サハラ: ベドウィン・キャンプ (テント式旅館)
  ・・カサブランカ: イビス・カサ・ボワイヤージュ(スタンダード部屋)または同等
  ・・ホテル・バトハ(スタンダード部屋)または同等
  ・・セウタ: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
  ・・ジブラルタル: ブリストル・ホテル(スタンダード部屋)または同等
  ・・バルセロナ: バルセロナ・アーバン・デル・コムテ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
 *食事: 朝食7回/昼食6回/夕食7回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・西サハラ: 送迎/観光ともに混載車
   ・・モロッコ: 送迎/観光ともに専用車
   ・・スペイン北アフリカ(セウタ): 国境→市内は公共バス(市内→埠頭は徒歩)
   ・・アルヘシラス→ラ・リネア→マラガ: 専用車
   ・・ジブラルタル観光: 観光は混載車
 *航空: 日本⇒ラーユーン⇒カサブランカ/バルセロナ⇒日本 航空券(税・燃油代込)
 *案内: 西サハラ(フランス語)/モロッコ(日本語または英語)/セウタ(ガイドなし)/
     アルヘシラス→ジブラルタル国境→マラガ&バルセロナ(スペイン語を話す運転手)
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費

●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: 査証が必要なお客様の査証代


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間があることが望ましい
   ・未使用の査証欄が4頁以上あることが望ましい。

 ・・査証(ビザ): 日本国籍のお客様は今回の旅に査証は不要です。
        日本以外の国籍をお持ちのお客様はご相談下さい。






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで

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・・・沙織里と久美の西サハラの思い出・・・

2003年の12月3日。モロッコ屈指の大西洋のリゾート地アガディールをバスで出発しました。陸路、南下して西サハラを目指します。車窓からはサトウキビ畑やナツメヤシの群生、ときにはヤギの大群が見えました。ティズニットという街を通過。ここは1882年にムーレイ・ハッサンが築いた城壁の街で、フランス保護領化に最後まで抵抗したレジスタンスの拠点だったそうです。こんな深い南部にも外国人観光客の姿がちらほら・・・
ティズニットを過ぎるとグーリミンまでは荒涼とした風景が続きます。1970年代は、西サハラ紛争が激化しており、モロッコ側で南下できるのはグーリミンが限界、その南へ行く公共交通機関はなかったそうです。
夕刻、タンタンという街に到着。この日はタンタンにある、カスバのようなホテルにて宿泊。バスを降りてタクシーに乗ると、さかんに運転手が家に遊びに来るように言います。知らない場所で知らない男の人に声をかけられても行ってはいけない・・・ 両親から聞いていた私たち姉妹は、そのままホテルまで送ってもらいました。お茶だけでも、というので、ホテルの前でお茶を入れているサハラの民?のお盆と七輪とお茶道具だけの露店で、三杯のミントティーをごちそうになります。私たちの警戒がわかっていたようで、ティズニットから南はモロッコじゃない。ベルベル人は、モロッコ人とは違う。本当に自分たちの文化や伝統を知ってもらいたいんだ・・・たどたどしい英語ながら彼らの誇りを語ります。翌日はバスがありません。午前、運転手のおうちに遊びに行きました。しかし、実際に私たち姉妹をもてなしてくれたのは、彼の奥さん、娘さんたち、そしてお母さん。メラハフと呼ばれる伝統衣装の下は、Tシャツにジーンズ。抑圧を受けているようなイメージを持っていたイスラム教徒の女性も、家の女性の部屋では、おしゃれな格好をしていることを知りました。その日は、お昼にクスクス、夜にタジンまでごちそうになり、最後はホテルまで送ってもらいました。ベルベルの人たちが大切にしている伝統に触れた一日でした。
その翌日、バスに乗って南下。タンタン・プラージュ保養地を過ぎると時折、右の車窓に大西洋が見えます。お昼過ぎ、タルフィヤに到着。モロッコと西サハラを地理的・行政的に分ける、いわば国境の町。ここは西サハラや地中海沿岸のメリリャ、セウタとともに、スペイン領北アフリカに属していた街で、大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島のフエルテベントゥーラ島にもっとも近いアフリカ大陸の街。
タルフィヤを過ぎると、再びバスは内陸を走り、夕刻、西サハラの北の玄関ラアユーン(アイウン)に到着しました。
西サハラ〜サハラウィの亡命政権は有名ですが、実情は、ラアユーンを含め、西サハラの殆どはモロッコが実効支配しています。街のホテルに旅装を解き、散策をすることにしました。
ラアユーンの街自体は、箱庭のようなイメージで、殺風景な社会主義的なビルが並ぶ、なんの変哲もない街ながら、街の中心に巨大な枯川(ワジ)があるのが特徴。但し、ワジの反対側はモロッコ軍の駐屯地となっていて、写真は撮れません。この日の夕食は、室料に含まれており、外国では珍しく、部屋まで食事を運んでくれました。銀色のトレーには、ローストチキン、サラダ、アラビア風のパン、豆の入ったショルバ、クスクス・・・ 異郷の中でさらに異郷を感じました。モロッコに実効支配されながら、どことなくヨーロッパを感じさせる不思議な街。しかしながら近年の建設ラッシュで、少しずつ街の人口密度が高くなってきているとか・・・
砂漠に行くと、先住民族であるベルベルの生活をイメージさせるツーリストキャンプがあります。ツーリストの殆どは、ラアユーンに空路で訪れ、こうしたキャンプに宿泊します。サハラ砂漠の最果て、大西洋と出会う場所に四輪駆動車でサファリに行ったり、満天の星の下でバーベキューをしたり、いま、西サハラは動乱の地というイメージを払しょくし、観光地として生まれ変わろうとしています。10年後、もし行くことがあったら、もっとツーリストに便利な土地になっているかもしれません。
(文: 本庄沙織里)


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